2014.09.21 Sunday
映画『羅生門』で一言。
何も恐ろしくない。
:解説:
昨日の『七人の侍』に続いて、今日は『羅生門』を観た。
同じく黒澤明監督作品で、キャストもかぶっている。
羅生門(1950年)
【出演】
多襄丸:三船敏郎
金沢武弘:森雅之
真砂:京マチ子
杣(そま)売り:志村喬
旅法師:千秋実
下人:上田吉二郎
【あらすじ】
平安時代。荒れ果てた都の羅生門で、杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。
そこへ雨宿りのために下人がやって来る。
下人は退屈しのぎに、2人がかかわりを持つことになったある事件の顛末を聞く。
ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、武士・金沢武弘の死体を発見した。
そのそばには、「市女笠」、踏みにじられた「侍烏帽子」、切られた「縄」、そして「赤地織の守袋」が落ちており、またそこにあるはずの金沢の「太刀」と妻の「短刀」がなくなっていた。
杣売りは検非違使に届け出た。
旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。
(Wikipediaより)
【感想】
この作品、言わずと知れた芥川龍之介作品だが、
高校時代に読んでみたものの、何が旅法師の言うところの「恐ろしい話」なのかさっぱりだった。
今回、「月日が経ったし、映画で観たらもっと感じ方も変わるだろう」と思って観たが、まぁ変わらない。
杣売りや旅法師はどんだけ世間擦れしてないのかと。
こんな程度の話で、恐ろしいとかないだろ。
もしくは、こいつらは恐ろしい恐ろしいとか言ってれば、
自分は同類じゃないと思い込めるつもりなんだろうか、と。
いや、そう言い聞かせたいんじゃないかとすら思える。
自分の汚いところから目を逸らして生きている、
そこを自覚をしたくないのだろう、ということだ。
そもそも、世界は業や残酷さや偽善、
時にはその真逆のモノで満ち溢れていて、
人間はエゴイズムと業と倫理観が絡み合って、
一部の人々が正義という名のナイフを振りかざしたりして、
傷付いたとか人間が信じられないとか被害者ヅラしたヤツらも、
そのツラの皮をめくってみたら同じようなもんだったりする。
この作品はあくまでも最後には救いがあるという終わり方にしているが、
それはどこかにそういう希望みたいな要素を残して終わらせたいからなんだと思う。
ここでもっとヒネたヤツが書いていたら、
翌日、河原で産着を外された赤児を旅法師が発見し、
この世に絶望して谷底に身を投げるとかいう展開だったと思う。
クソみたいな泥だらけの池にも蓮の花が咲いたりするから、
この世のコントラストがキレイに映るなんじゃないのか。
石ころの中にも、たまにダイヤが混ざってたりさ。
あぁ、でもそのダイヤの指輪は他人のモノだったりするよね。
不倫はダメよ〜、ダメダメ。
俺は割とそういう方向性の映画にシンパシーを感じてる気がする。
マフィア映画の中にある純情だったり。
結局、正義だのなんだのを振りかざすヤツには、
ロクなヤツがいないということだよね。
正義なんて、自分勝手な価値観で作り上げた自分にしか通じないルールみたいなもんだよ。
同じルールで遊びたいヤツとだけ遊んでればいいわけだよ。
大富豪を普通のルールでやってるのに、
なんかよくわかんないローカルルールでやられてもねぇ。
なんだよ、「6飛び8流し」って。
それはおまえの地元だけでやれよ。
おっと、とんでもなく脱線してしまった。
この映画を観て、10段階で9以上の評価をつける人って、
割といい人が多いんじゃないかなぁと思ってしまったりする。
評価:★★★★★★★☆☆☆(7点)
あまり関係無いけど、
ヒロイン役の京マチ子さんが、
先輩の元カノに似ている。
ああいう顔の人って、割と現代に多い気がしてたけど、
そんな事なかったんだなぁ…。
黒澤明監督作品、三船敏郎主演映画はまだまだある。
『用心棒』と『赤ひげ』と『椿三十郎』も見なければ。
:解説:
昨日の『七人の侍』に続いて、今日は『羅生門』を観た。
同じく黒澤明監督作品で、キャストもかぶっている。
羅生門(1950年)
【出演】
多襄丸:三船敏郎
金沢武弘:森雅之
真砂:京マチ子
杣(そま)売り:志村喬
旅法師:千秋実
下人:上田吉二郎
【あらすじ】
平安時代。荒れ果てた都の羅生門で、杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。
そこへ雨宿りのために下人がやって来る。
下人は退屈しのぎに、2人がかかわりを持つことになったある事件の顛末を聞く。
ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、武士・金沢武弘の死体を発見した。
そのそばには、「市女笠」、踏みにじられた「侍烏帽子」、切られた「縄」、そして「赤地織の守袋」が落ちており、またそこにあるはずの金沢の「太刀」と妻の「短刀」がなくなっていた。
杣売りは検非違使に届け出た。
旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。
(Wikipediaより)
【感想】
この作品、言わずと知れた芥川龍之介作品だが、
高校時代に読んでみたものの、何が旅法師の言うところの「恐ろしい話」なのかさっぱりだった。
今回、「月日が経ったし、映画で観たらもっと感じ方も変わるだろう」と思って観たが、まぁ変わらない。
杣売りや旅法師はどんだけ世間擦れしてないのかと。
こんな程度の話で、恐ろしいとかないだろ。
もしくは、こいつらは恐ろしい恐ろしいとか言ってれば、
自分は同類じゃないと思い込めるつもりなんだろうか、と。
いや、そう言い聞かせたいんじゃないかとすら思える。
自分の汚いところから目を逸らして生きている、
そこを自覚をしたくないのだろう、ということだ。
そもそも、世界は業や残酷さや偽善、
時にはその真逆のモノで満ち溢れていて、
人間はエゴイズムと業と倫理観が絡み合って、
一部の人々が正義という名のナイフを振りかざしたりして、
傷付いたとか人間が信じられないとか被害者ヅラしたヤツらも、
そのツラの皮をめくってみたら同じようなもんだったりする。
この作品はあくまでも最後には救いがあるという終わり方にしているが、
それはどこかにそういう希望みたいな要素を残して終わらせたいからなんだと思う。
ここでもっとヒネたヤツが書いていたら、
翌日、河原で産着を外された赤児を旅法師が発見し、
この世に絶望して谷底に身を投げるとかいう展開だったと思う。
クソみたいな泥だらけの池にも蓮の花が咲いたりするから、
この世のコントラストがキレイに映るなんじゃないのか。
石ころの中にも、たまにダイヤが混ざってたりさ。
あぁ、でもそのダイヤの指輪は他人のモノだったりするよね。
不倫はダメよ〜、ダメダメ。
俺は割とそういう方向性の映画にシンパシーを感じてる気がする。
マフィア映画の中にある純情だったり。
結局、正義だのなんだのを振りかざすヤツには、
ロクなヤツがいないということだよね。
正義なんて、自分勝手な価値観で作り上げた自分にしか通じないルールみたいなもんだよ。
同じルールで遊びたいヤツとだけ遊んでればいいわけだよ。
大富豪を普通のルールでやってるのに、
なんかよくわかんないローカルルールでやられてもねぇ。
なんだよ、「6飛び8流し」って。
それはおまえの地元だけでやれよ。
おっと、とんでもなく脱線してしまった。
この映画を観て、10段階で9以上の評価をつける人って、
割といい人が多いんじゃないかなぁと思ってしまったりする。
評価:★★★★★★★☆☆☆(7点)
あまり関係無いけど、
ヒロイン役の京マチ子さんが、
先輩の元カノに似ている。
ああいう顔の人って、割と現代に多い気がしてたけど、
そんな事なかったんだなぁ…。
黒澤明監督作品、三船敏郎主演映画はまだまだある。
『用心棒』と『赤ひげ』と『椿三十郎』も見なければ。